2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧
この道祖神さまが置かれている場所は奥まった田んぼの畦道です。 なかなか見つからないワケですよね、フツーの道端ではないのですから… 近くには新しいアパートや住宅が建ち並び区画や道路の整備に伴って移動されたものなのでしょう。 お天気がよければ背後…
ふたつの双体道祖神さまが並ぶ大岩・小安神社の入り口です。 一つはすっかり風化してしまっており造立はおろか形式や表情さえ把握が困難になっていますが、もう片方はしっかりしていますね。 破風型と呼ばれるスタイルに似ていますが神社の鳥居のように見え…
幹線道路沿いの民家の基礎土台に置かれている観音さまです。 クルマの往来の多い場所なのに意外に汚れも少ないのはコチラのお宅の方がよくお手入れをされているからなのでしょうか… やはりと言いますか浸食によって銘などの判読が不可能になっているのは仕方…
大正十年正月・丸氏子中…という銘が刻まれています。 近代に造立したものなのでまだ浮彫も明確、ほのぼのとした笑顔が印象的です。 隣に並ぶ双体道祖神さまはかなり古いもののようで、風化に加えて大きな欠損もありかなり深刻な状態。 「早く助けて〜!」とS…
鼻のとれたお茶ノ水博士みたいなカタチの自然石がとてもユーモラスな道祖神さまです。 しかし真っ正面にマンリョウが植えられていて(なんでココじゃなくてはいけないの?)という配置のセンスにはガックリきます。オカゲで正面からの撮影が出来ませんでした…
県道から脇に入り急激な坂道を登ってゆくとグランドがあり、その盛土コンクリートブロックの下にひっそりと並べられていた道祖神さまたちです。 グランドを造成するときにこうしたカタチになったのでしょうが、周囲は枯葉やゴミなども多く散乱していてあまり…
閑静な住宅地の一角にある公園に鎮座しています。 石祠も並べられているのは以前はこの辺りが田畑が中心の集落であったことの証でもありますが、その役目は公園で遊ぶ子供たちの安全を見守ることに変わりましたね。 浸食が進行していて造立などの銘を読み取…
自然石の道祖神さまがふたつ…そう、片方は確実に子孫繁栄を願い祀ったもの…カンのスルドい方ならお察しはついているかとは思いますが、まぁその女性の性器を象徴したものでありまして… 五穀豊穣と共にムカシの人々にとっては生きてゆく上で子宝に恵まれるの…
芝川は今年三月に富士宮市と合併したばかりで道祖神さまのデータは市教委のリストにありません。仕方なしにあてずっぽに行くワケでありますが、コレがまたけっこうな数があるようでなかなか手ごわい様子です。ココは月代と書いて「げんだい」と読む地名だそ…
●安居山(あごやま)王八幡宮の甲子塚 八幡(はちまん)さまは文武の神様…と一般テキに思われていますが、元をただすと八幡(やわた)さまなのでありまして農業の神様だったワケですね。 五穀豊穣を感謝して行われる秋祭りには今も“奉納相撲”などといった風…
状態もよくありませんし、そもそも置かれている場所が「う〜ん」な… コンクリートで補強固定されていますので浸食はある程度食い止められてはいますが、あまりにも粗末な補修で道祖神さまにシツレーではないのかと思うのですよ。 文化財という認識がないので…
道路の改修と区画整理や急激な宅地造成の結果なのでしょう。自宅の塀が回収ゴミ置き場という方もお気の毒ですが、どうも道祖神さまがあまり気乗りのしない場所に置かれているケースが多いような気がします。 本来は元々の場所に在るべきなのでしょうが、こん…
“たや”とカタカナで書く地名はいったいどんな由来なのかと探ってみたくなりますね。 リッパな道路が出来る前はココが主要道の辻だったのでしょう、現在も少しニギヤカな場所に鎮座していますが、表面の一部が欠落し始めていて保護保存が急がれる道祖神さまで…
上部が割れて修復した痕のある道祖神さまと三つの自然石道祖神さまたちが並んでいます。 双体道祖神さまが黒っぽいのは“どんど焼”の炎の中に道祖神さまを投げ込む習慣が昔から続いていた名残でしょうか。随分荒っぽいイベントのようですがキチンとした理由が…
何度行っても見つからず三度目のトライでやっと見つけた道祖神さまです。 元々の地図データが違っていたとうこともありますが、なんといっても駐車場のフェンスを切り欠いて設置された祠の中にあるとは想定外でした。 それでもどちら様かがきちんとお世話を…
個人住宅の敷地内一角に並んでいます。 庚申塚は天保二年の銘、そしてちょっとコワモテの仁王様風のほうは造立年の判読ができません。 村の入り口で不審者を監視する役だった道祖神さまも、今は塀の中でちょっと不満そうですね。 → MAP
よく行く本屋さんの前の歩道にこの道祖神さまはいたのですが、こんな取材を始めるまでは全く気付きませんでした…お恥ずかしい限りです。 初期のプリミティブで小さな道祖神さま(たぶん合掌像)と並んで、大きなほうは自然石刳抜の祝言像(酒器を持っている…
自然石刳抜の持物像ということから文化または文政期の造立と考えられますが、個人宅の一角にあるのでウラ側から見るなど確認のしにくい道祖神さまです。 荒々しい外側の造りに対し双体像は繊細で高貴な印象、そしてハッとするほど大きさもリッパ(三尺ほどの…
未完成だったのではと思うくらい背後の彫りや像の深さに特徴がある双体の道祖神さまです。 物を持つお二人の間に渡っているモノが彫りなのかキズなのか、それも興味深いところです。もっと素朴だったころから後期の完成された形への過渡期の作品かもしれませ…
一般民家の石塀に掘り込むようなカタチで祀られている道祖神さまです。 石の角柱があることかたらココもなにか神様を祭った建造物でもあった場所なのでしょうか、すぐ前には和田の公会堂があることから古来は村人たちが祭祀に使用する公共のスペースであった…
あら、こんなところに題目碑が…と気付きよく見ると、下部の刻には大正12年とか地震・人骨といった文字を判読出来ました。それは確か関東大震災の発生した年ではありませんか。 調べてみると一般的には首都の被害ばかりがクローズアップされていますが、実際…
富士宮市内の工業団地の中にある八幡宮入口に鎮座している道祖神さまです。 工業団地の用地計画でもサスガに神社は動かせなかったようで、周囲の道路や地形とは少し違う特異なカタチでこの八幡宮が存在しています。 すっかり風化してしまい銘はおろか表情や…
自然石刳抜の持物像です。 のどかな田園風景の続く畑地の一角でもあり、東西南北に走る旧道の道標としての役割も隣に置かれた題目塔と共に担ってきたのでしょうか。 後方の樹木の左、わずかに見えるのが富士山。 江戸時代・寛政のころからここで見守ってくれ…
奥に見える石の角柱により、かつてココに神社あるいはそれと同様なものがあったと推測できるのですが、現在はその石柱以外には痕跡すらありません。 残された題目塔と馬頭観音像は主がいなくなってもこうして祈り守り続けていてくれる、そんな温かみのある場…
道祖神さまはこのように行き届いた環境にあるものもあって、同じ文化財でありながら個人の手に委ねられている状況にはクビを傾げたくなるのであります。 まぁソレにしても欠けてしまった道祖神さまはお気の毒ですね…→ MAP
江柏と書いて「えがしゃ」と読むそうです。こんな取材をしていて初めて知った読み方ですよ。 ネギ畑や青菜畑が多く稲の田が少ないこのエリアは富士宮浅間大社を出発して富士山に向かう二本のルートのうち西側のものが貫いています。 題目碑-道祖神-申子塚と…
風雨による浸食に加え欠け落ちた部分も多く、すっかり小さくなってしまっている道祖神さま。 予めデータでこの近辺に在ると判っていたので見つけられましたが、ふつうなら気がつかないかも知れません。 なんとかしてあげたいんですけどね…→ MAP
畑地の広がる郊外を走る道、クネクネ曲っているのは旧く歴史のある証拠で、ソレとクロスする道も同様に真っ直ぐではありません。 その交差点の一角にこうして鎮座している道祖神さまですが、かすかに残っている銘からは造立年号を読み取るのは難しいようです…
すっかり浸食が進行している上に周囲の整備もなおざりにされている印象です。 それでもどちら様かがそのままではコケてしまう道祖神さまの足元に石をあてがい、なんとか倒壊を防ぐ努力がなされてはいるようですが、やはりキチンとした保護が必要でしょう。 …
現在の地図を見ても「庭床」という地名は見当たりません。 かつてそう呼ばれていた小さなエリアなのでしょうが、こうしてドラッグストアなどの商業施設が次々に建設され道路も変更拡幅などされていった過程で、よく無くなってしまわなかったなぁと思いました…