2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧

上宮内東の道祖神

富士宮名産の落花生畑の縁にあります。 農家のおねーさまが「この前で記念撮影してゆく人もいるのよ」と教えてくれました。 隣に並ぶ双体道祖神さまは上部が欠落してしまっていますが、欠けてからかなりの年月を経ているらしくコケむしていますね。→ MAP

中沢の道祖神2

データに記載されていない道祖神さまです。 偶然発見したものの周囲はゴミ置き場同然でとても写真でお見せできるものではありませんし、ソレより今後が心配です。 五穀豊穣・子孫繁栄を願って造立される道祖神さまもあって、コレはその後者。 ソレにしてもユ…

中沢の道祖神1

何度もカギの手に曲がる道を経て辿りつくのは小さな八幡宮。 その手前T字路で巡礼者を優しく迎えるように建っている道祖神さまです。 隣には小さな自然石の道祖神さまも並んでいて、この先にある山宮浅間神社への要所であったことがうかがえますが、その証…

篠坂上の道祖神

いくら探しても見つからない。う〜ん困った… (もしかして)と思い何度もその前を通り過ぎた林の中に入ってみました。 やはりそう!コレだったのです。 ちょっと見はタダの岩石、国道脇の杉林・雑草の中にポツリと鎮座していて本当に道祖神さまなの?と疑い…

山宮浅間神社参道入口の石仏

立派な鳥居に比べ、なんとも痛ましい姿の石像です。 ドチラも頭部顔面喪失、しかも気の抜けるような修復がなされていいて、コレならそのままの方が未だマシか…と思えてきますね。 造立時の資料などはないのでしょうか。 → MAP

上宮内の道祖神

柔らかな木漏れ陽の中に鎮座する双体の道祖神さま。 万延元年の刻があり二者ともに祈り合掌する自然石浮彫です。神社の入口に置かれた石像と同じ径に在るとは思えないくらい状態は良く、やはり林間に在るので風雨に浸食されにくいのでしょうか。 → MAP

割石の道祖神

この二つの馬頭観音像の他に巨大な題目塔・丸く小さな自然石・銘も消えてしまった石碑からなる5つの個体が一列に配置されています。 撮影の為に雑草などを少し刈り取りましたが、どうにもキチンと管理されているとは思えず残念です。場所も個人の所有地のよ…

上蒲沢の道祖神

元々はフツーに地面に置かれていたのでしょうに、なんだか窮屈そうで少し可哀そうですね。 こうした姿の道祖神さんも多くみかけてちょっと悲しくなりますが、まぁコレはまだマシなほうです。 しかしお顔がすっかり浸食されてしまっていて昔の資料写真と比べ…

蒲沢の山神宮

山の神さまとしての石碑です。 馬頭観音や石祠はよく見かけますがこのスタイルは少ないですね。 年号銘が刻まれていないのはどうしてなのでしょう… 周囲に田畑が拡がる中にポツリと鎮座しています。 → MAP

下蒲沢の道祖神1

とてもいいお顔ですね! 寛政六年の刻銘があり、過去に朱の漆が施されていた様子です。 道を挟んで反対側にも馬頭観音像が置かれ、まるで門のような体を成しているのが面白く思いました。 → MAP

下蒲沢の道祖神2

ここもデータベースにない場所です。 紅い漆塗りの祠、石祠、自然石道祖神、道標の4つが並ぶ氏神さまスポット。 道標には“神〇道四十一…”と刻銘されていますが二文字目がどうしても読めません。本当はもっと長い石だった可能性もあって下部にそのヒミツが隠…

中沢の甲子塚

畑地の農道にポツリとある小さな甲子塚です。 最初は「なんでこんな処に…」と思いましたが、よく考えるとこの先には八幡宮・山神社・浅間神社・薬師寺など氏神・仏さまのポイントが目白押しなのですよ そうか昔は重要な道だったのかも知れない…ナルホド〜な…

向の道祖神

後に知ったことですがけっこう有名な双体道祖神さまらしいですよ。 幕末の万延年間に造立され、分類としては「自然石浮彫・持物像」ということになります。 保存状態がいいのも文化財としてのシンボルになりやすいのでしょうね。 近くに保育園や小学校があり…

東阿幸地の道祖神

コチラもデータブックにない道祖神さま、ちょっと可哀そうです。 場所もメにつきにくいところでもってチラッと見はただの石柱のようにも見えるし、そしてあまりにシブい達筆銘刻なので気付いてもらえないのかも知れないですね。 通りがかりで偶然発見できた…

二番堀の道祖神

市のデータブックにも載っていない道祖神さま。 どなた様かがきちんと祀ってありますね、有難いことです。 ほぼ毎日のように通る交差点の一角にあって、見つけた時には少しアセりましたね。 現在の富士登山道路の道筋にひっそりと… → MAP

中道の道祖神

言われなければソレと気付くこともないでしょうね。データをもとに探し歩いたのですがどうしても見つからず、近くで農作業をしていた方に訊くとコレだと教えてくれました。 う〜む、なるほど… しめ縄やその他の祀りは施されてはいませんが、後日行ってみると…

出水の道祖神

出水と書いて「いずりみず」と読む変わった地名です。ちなみに湧水でもあるのかしら…と探してはみたものの見つかりませんでした。 先日、野生のサルが徘徊していたことを市の広報アナウンスで聞いた辺りでもあります。 双体道祖神、庚申塔、馬頭観音像、自然…

出水南の道祖神

出水と書いて「いずりみず」と読みます。 どの石像の銘もかなり薄くなってしまっていますが、かろうじて一つからは明和三年の刻が読み取れました。 村山浅間神社に続く古い道沿い、隣接する紙加工所の駐車場の一角にあり周囲もよく清掃されてはいるものの、…

叔母ケ懐の道祖神

叔母ケ懐(おばがふところ)とは面白い地名です。珍しいなと思い調べてみると全国各地に似たような地名が意外に多くありました。 民家の石垣に鎮座するこの二体の道祖神さまには“天保”・“安政”とようやく判読できる銘が刻まれていて江戸時代末期からのもので…

叔母ヶ懐上の道祖神

何度往復してもその付近には見つからない… それもそのハズ、ハンドボールほどの小さな石が道祖神さまだとは思わなかったからです。 しかしこうして周囲を石で囲み、キチンと雑草も刈ってあり、誰かが大切にお手入れをしていることが判ります。やはり素朴な信…

富士根北の道祖神2

中央の馬頭観音像につい目を奪われがちですが、ポイントは右端にある石祠(せきし)の中に入っている自然石の道祖神です。 何も入っていない石祠が多い中、パワーストーンのような存在の道祖神さまが大切に祀られているところが面白いですね。 ステージの一…

富士根北の道祖神1

元々はここではなく道の真ん中に在った… と、この家の方が説明してくれました。 区画整理と路の拡幅の際に移動したと云う石碑には天明や寛保の銘が刻まれていますが、もしかしたら墓碑かもしれないなあ… しかしその後は道標としてここで大切に守られているの…

中道の道祖神1

あまりにも渋い姿に今まで気付くこともなかった道祖神さまでした いつものスーパーに行く道すがらにあり、何度も通っていたのに申し訳ない気持ちです… ごめんなさい 以来、一礼してその御前を通過するようにしています そしてこの通りが何本かある富士登山道…

上宮内の甲子塚

両脇にある石の角柱が以前にこの場所が社であった可能性を感じさせます。 近くには山宮浅間神社や八幡宮をはじめとした社寺なども多く、こうした信仰シンボルが密集しているエリアでもあります。 → MAP

新屋敷の道祖神

風雨の浸食などによって刻銘が不明確になってしまっている道祖神さまが多い中、この双体道祖神には元禄二年(1689年)の銘を読み取ることが出来ます。 現在確認できるものとしては市内で最古の造立です。(横に立つ文字碑道祖神は明治末期に加えられたもの)…

山宮小学校入口の甲子塔

飾り気のないスクウェアな石柱なので遠目にはただの墓石のように見えます しかしよく見れば“甲子”の文字、サイドには“天保四年”の銘があり、しかもなぜか礎石には製作者名や寄進した者の名なども彫られていて甲子信仰の懐は深いですね このポイントから先に…

一区上蒲沢の甲子塚

富士宮浅間大社から真っ直ぐに登ってきた位置にあります 富士山を背にして坂から見おろすと下には街並み そして遠くに駿河湾も望めるのですよ 旅人たちもココで一服したのでしょうかね… 名水も湧き出る場所なので隣には評判の蕎麦屋「古庵」さんがあります →…

白糸の滝入口の石碑

左:元禄六年・上井出町の銘 旅の安全を祈願する文字碑 中:火災水害の厄除けとしての上棟大元尊神観音 右:左方向が「白糸乃瀧」と示す道標 “宮内省消防組頭 神田錦町 石川三之助”の銘 → MAP

人穴の駒立観音

1192年に征夷大将軍に任命され鎌倉幕府を開いた源頼朝はその翌年、この富士山麓の丘陵地帯(現在の朝霧高原)で「富士の巻狩り」を大規模に行いました 眺めの良い丘から周辺を見渡しては晴れ晴れと満足な心境であったと思いますが、その際に馬を立たせたまま…

神成・山神社東の甲子塚と石祠

直径が1m近い丸く巨大な岩石の甲子塚と石祠(せきし)です 田や畑の神様と旅人の厄払いや道案内まで兼ね備えた素朴な祀りが仲よく並ぶ姿はほのぼのとした温もりがありますね 石祠=石で作られた小さな祠(ほこら)は市内のかなりの場所で目にしますが銘など…