2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧
明治初年、万野原に入植した士族たち。その屋敷が並ぶ通りであったといいます。 厳しい自然に対峙する開墾作業、やはり五穀豊穣と生活の安定を願ったものだったのでしょうか。 自然石を祀った道祖神さまがそうした素朴な祈りのあった時代を今に伝えているよ…
サイドに造立年月の銘が刻んであり昭和二十一年三月となっていました。終戦から半年、まだ日本中が落ちつかない日々を送っていた時期です、何を願いどんな気持ちでこの道祖神さまをここに祀ったのでしょう。 当時の正確な資料を収集整理するなら今のうちだと…
琴平道東と書いて「こんぴらみちひがし」と読みます。 前歯の矯正治療期間中といった感じでしょうか、なんとも窮屈で見た目のよくない周囲の状況ですね。 工事が終了したらどんな様子になるのでしょう…ちょっと楽しみでもあります。 → MAP
お寺の外壁、限られた面積の一角にあるため、その他の石碑と共に配置するのに苦心したあとがうかがえます。 馬頭観音像、青面金剛…窮屈そうでちょっとお気の毒ですが、ココならキチンと守り祀ってもらえる…という安心感がありますね。→ MAP
手前下にいくつか並んでいるのが自然石の道祖神さまや馬頭観音像などです。 みな頭に丸い石を乗せられてお地蔵さまのような姿にさせられてしまっていますし赤い前垂れまでつけられて、なんだかちょっと違っているのでは…と思わずにいられません。 しかしこれ…
昭和に入ってから造立されたものですが、なんともサラリとした筆の運びで彫られた銘が面白いですね。 あまり構えた感じのない道祖神さまは珍しいと思いました。 → MAP
山宮区民館の入り口にあります。 微かに残っている銘からは造立時期などの情報も読み取れませんが、字体などから判断すると比較的近世の道祖神さまのように思えます。 ここも山宮浅間神社・富士登山旧道に続く路になっています。→ MAP
周辺道路の整備によって、この道祖神さまのいる路は地元の人間しか通らないコースになってしまいました。 新しく出来たリッパな道路とこれまで利用されてきた旧道の合流地点に移動した方が本来の目的に適ったものだとは思うのですが… 朽ち果て忘れられてしま…
持物像と呼ばれる自然石浮彫の双体道祖神さま、手にしているのは器や御札などです。 この辺りは畑地も多いので五穀豊穣を祈ったものなのでしょう。 ちょっとコワいお顔ですが、じっと見ていると優しさが滲み出てくるようですね。→ MAP
薬師寺という名に期待して行ってみれば現在は全く違う建物があり少々ガッカリしてしまいました。まぁ正確に言うと「薬師寺跡」なのですねえ… 山宮薬師寺はその建立年代なども含めナゾの多いもので、明治七年には五松舎(万野原新田の小学校)の分校がこの薬…
明治末期に造立された道祖神さまです。 3ピースに見せかけるようなバーチカルラインと文字の彫り方にも特徴があり、とってもモダンなデザインの道祖神さまですね。 粗末な鳥居と小さな祠のある神社のすぐそばにあり、なにがしかの因果関係がありそうです。 …