2011-01-01から1ヶ月間の記事一覧

貫間西の道祖神1

整備された畑地の土止めコンクリートの一角に鎮座していて、なんだかちょっと不自然なカンジは否めなせんね。 それでもキチンとお手入れがされており大切に守られていることはよく解ります。 銘も消失していますし表情も読み取れませんが、僧の合掌像という…

貫間上の道祖神

生姜や里芋そしてキャベツなどの畑地が拡がる道筋にある道祖神さまです。 双体の祝言像ということから天明から寛政にかけての造立と思われます。 → MAP 近くには神力大明神の幟がはためき、秋祭りの準備が始まっていました。 小さな赤い鳥居が青空に映えます…

貫間下の道祖神

茶畑の一角、しかも樹の下に隠れるように置かれているのでなかなか見つけることが出来ませんでした。 造立年は判りませんが、大きさの違いから夫婦の祝言像かと思われます。 強い意志を感じる表情がまたいいですね。 → MAP

下組町屋久保の道祖神

互いの肩に手を廻し握手をする道祖神さまです。 風化のためそのお顔を現在は見てとることは出来ませんが、穏やかで柔和な表情であっただろう…と想像できますね。 舟型・駒型・破風型の三つをミックスしたような珍しい碑型、寛政年間の造立です。 → MAP ◎画像…

下組横町の道祖神

シツレイな話ですが知らずに通ればただの漬物石かと思ってしまうような道祖神さまです。 それでも複雑に走る路の道標としての機能もあったのでしょうか、畑地の畔で静かに水路の安全を見守っているようでもあります。→ MAP

下組の道祖神と題目塔・観音像

明治時代に造立された文字碑道祖神さまと双体の道祖神さまが並べ置かれていますが、後者は上部が欠損してしまっていて残念なお姿で、年号など全く知る由もありません。→ MAP すぐ近くには「北山天満宮」や題目塔と観音像がある一角があります。 → MAP

横道の道祖神

寛政期に造立された双体の道祖神さまは柔和な表情でシブいお姿の合掌像、なかなかにほのぼのとした気持ちにさせてくれますが、なんといってもココの道祖神さまで目を惹くのはモロに男根スタイルの自然石道祖神さまでしょう。しかも2つ… 馬頭観世音さまや題…

栄組の道祖神

これがそうなのか…となかなか自信が持てない道祖神さまです。 角ばった大きな岩石にカドのとれた楕円形の石、その間にも小さな楕円の石と三つのものが一緒に置かれています。 隣には平成十六年に寄進造立された新しい道祖神さまもあって、ソチラはなんだか新…

杉田不動尊の六観音・地蔵菩薩と釈迦如来

道祖神さまを探し歩いているときにふと立ち寄ってみた不動尊です。 市内の東部には珍しい湧水池で、かなり昔から農業用水などとして利用されていたそうです。平成4年に富士宮市の保存湧水池に指定された面積92.5平米、湧水日量約480立方メートルの水源を抱…

立石の道祖神と馬頭観世音

文字碑の道祖神さまは明治時代に造立されたものです。 高台の茶畑の一角に建ち並び、お天気が良ければ富士山や駿河湾も望むことが出来る素晴らしいロケーションです。 残念なことに二つの馬頭観世音さまは上部が割れて無残な補修がなされていました。供えら…

田上原の道祖神2

すぐ近くに位置する田上原の道祖神1と同じ形式ですね、大きさが違うのはコチラは上部が欠損していないだけかも知れません。 造立の目的や年代は同じかと思われますし、よく似たスタイルから同じ石工の作品でしょう。 ただコチラは樹木の下ではなく野路に晒…

田上原の道祖神1

浸食が進行しているので断定は出来ませんが酒器などを持った祝言像の双体道祖神さまのようです。 高さは一尺ほどと小型の部類ですが、複雑にいくつも分岐している路の一角にあり目につきやすい道祖神さまでした。 銘などの詳細はまったく不明、おそらく18世…

田上原の甲子塚と観音像

うたた寝をするような観音さまというのもユーモラスですね。 大きな丸い岩石の甲子塚と並んで高台の畑地を走る路わきにあります。 → MAP

中村の道祖神と氏神社

こんなところに…と拍子抜けするほど街道筋の何でもない場所にある道祖神さまでした。 自然石を浮彫にした握手像からは銘を読み取ることはできませんでしたが、おそらく18世紀の中ごろから末にかけて…寛延から天明ころにかけての造立かと思われます。 よく見…

滝ノ上の道祖神と甲子塚

おっ、コレは状態のよい道祖神さまだ! と思ったら明治時代のものでした。 しかし神妙な顔つきといい、つつましく祝ものを捧げ持つ姿は凛としたものがあって素晴らしいですね。 隣の甲子塚も同時代のもののようです。 滝もないのにどうして「滝の上…」かと思…

大宝坊の道祖神・甲子塚と石祠群

大宝坊という地名から以前はこの辺りにお寺とその坊でも存在したのでしょうか、現在は地図はもちろん実際に現地で確かめてもそのような形跡すら残っていませんでした。 大きな甲子塚と並べられている道祖神さまはすっかり浸食が進行してしまっていて辛い状態…

千貫松の道祖神

その真っ黒なお姿に最初は驚きました。 タールでも塗られてしまったのかと心配したくらいでしたが、こういう石質のものだと判りひと安心です。 銘は「享和元年」となっていて1801年、既に二百年以上経っているのに彫りの状態は非常に良好で、やはり黒くて硬…

新梨上の道祖神

同じ石造物でも岩の質にもよるのでしょうか、このようにすっかり浸食されてしまい銘はおろか表情さえ読み取ることのできないものも多く存在しています。 かろうじて「合掌像」であることが判りますので元禄・元文のころの造立かと想像されます。 白いコケ類…

新梨下の道祖神と甲子塚

すっかり風化してしまっている双体の道祖神さまですが、酒器を持った祝言像であることがようやく判別できます。 隣に置かれた丸岩石の甲子塚は明治時代のもので、今はただの農道の一角ですが昔は往来の要所であったことを覗い知ることができます。 → MAP

新梨の庚申堂

鉄の波板で補修されたお堂の中には石の庚申塔と観音像が祀られていました。 どちらも銘文は不鮮明で判読が難しいものでしたが、塔の下部には三猿が彫られています。 六十日に一度行われると云う「庚申講」が行われる場所でもあります。 → MAP

新田の道祖神

茶畑の角に建つ手を取り合う姿の道祖神さま。 造立の年号などまったく判りませんがにこやかな表情の面影が見てとれますね。 → MAP

山神社とその付近の石造物

茶畑の真ん中に位置する山神社には本殿の石祠の他に入り口にも二つの石祠と石碑が置かれていました。 → MAP 左;山神社三区二町内集会所前の甲子塚 → MAP 中;山神社東の水神宮 → MAP 右;山神社西の馬頭観世音菩薩 → MAP

久保の道祖神と甲子塚

造立は昭和十六年の太平洋戦争の真っ最中ですが戦局はまださほど悪化していない時期ですね。 「久保の山之神宮」前に鎮座していますが、馬頭観世音や石祠もありもう一度しっかり見に行きたいと思っています。 → MAP

丸塚の道祖神と甲子塚

文化七年造立の道祖神さまと大きく丸い自然石の道祖神さまが並んでいます。 手をとりあい抱擁しているお姿はほほえましいものですね。茶畑を背にし、お天気が良ければ富士山がバックになる素晴らしい場所でもあります。 → MAP 目の前に「丸塚の山之神神社」…

笠屋敷の道祖神

昭和十一年、太平洋戦争突入の直前に造立された道祖神さまです。 高台に拡がる畑地の中で今は平和な時を過ごしていますね…→ MAP

木ノ行寺の道祖神

木ノ行寺(きのぎょうじ)という地名ですがその名のお寺はありません。若しかしたらかなり昔に廃寺となってしまったのかも知れませんね。 道祖神さまは何故かバナナの樹に囲まれていて「ココは南方の島か?」というような光景ですが、隣には神社とも祠とも云…

尾無沢の道祖神

空き地なのか休耕地なのかよく判りませんが、国道139号線のバイパスが出来る前はなだらかな斜面に拡がる畑地と富士山村山道方面に続く路だった場所、現在は家屋やアパートが建ち並ぶ静かな住宅地の一角になっています。 コンクリート製台座にガッチリ固定さ…

萩間上の道祖神

文字に入れられた紅い漆が黒い石材と強いコントラストを生んで印象的な道祖神さまですね。 年号銘は残念ながら浸食され判読しづらいものになっていますが、小泉村という刻から江戸時代のものかと想像されます。 区民館の入り口に立派な台座と共に鎮座してい…

萩間下の道祖神

大きな幹線道路から脇に入った住宅地の一角、取り残されたように置かれた道祖神さまです。 見つけたとき、なんと!セーターが被されていました。いけませんよねえ、そんなコトをしては… あの〜愛玩動物じゃないんですから。 もちろんそっと取り除いて廃棄さ…

舞々木の布袋さん

墓地公園の入り口にあります。 銘もなにもないので手掛かりすら掴めませんが、そう古いものではないことだけは確かなようです。 それにしても見ているだけで笑いがこみあげてきますね。 → MAP