2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧
弘化五年の銘が刻まれた文字碑道祖神さまです そして双体道祖神さまのほうは風化して年号の判読が不能、残念です → MAP
大きな丸い岩石の申子塚が目立ちますが、右に配置された自然石道祖神にナゼか安堵感を抱きます しかし自然石道祖神は一様に平たく横長の石を上に載せてあるのはナゼなのだろう… 塚も甲子でも庚申でもなく“申子”というのが珍しいし、ちょっと楽しいポイントで…
柿の木の下に2つの双体道祖神さま いつまでも仲よくね… 今ごろは柿の実も色づいて秋らしくなってるかな→ MAP
村山浅間神社から約四半里、ひっそりと三差路に佇む文字碑道祖神さまです すっかりコケ生してしまい銘すら読み取れませんが、過去に文字部分に朱を着色してあった形跡がわずかに残っていました → MAP
イナカの畦道にポツリとたたずむ なんとなくホンワカ、温かなキモチにさせてくれますね → MAP
右後方の一つは風雨に浸食され、ご神体が明確ではなくなってしまっていました 焼きモノで近年制作された中央の像などではなく、もしかしたらソレが一番旧いもののようなので中心に据えるべきかな…と思うのです → MAP
仏像や大きな自然石に文字が刻まれた碑と共に置かれていますが、どうも赤い前掛けはお地蔵さまとカン違いしているようでいただけないですね それにコレでは道祖神様が見えないのですよ それともナニか宗教テキな意味合いを持たせてあるのか… やたらめくって…
前回の横沢神社の道祖神で見つけた神社の石仏はこの道祖神さまの後方にあったものです 吉原宿から富士山を目指す旅人の道標でもあり「むら山道」の名と富士山の象徴的な絵柄が彫られています ソレはソレとして富士宮市の教育委員会による標柱も結構ですが、…
この神社の手前に市のデータベースに記載されている道祖神があります プラリと立ち寄ってお参りし、ふとワキを見ると木陰に石仏があるではありませんか 道祖神として置かれたものではないかもしれませんが、往来の安全祈願や厄除けとしての目的は青面金剛さ…
旧い富士登山道の途中にある村山浅間神社 今はこんな道を利用する登山者さんはいませんが、その昔には主流だった吉原宿からの登山者への道案内と安全を祈願した石碑です よく見ると碑の頂部は富士山のカタチになっていますよ 桜の頃や紅葉の折はより美しく輝…
そしてもう一つの見付(不審者取り締まりの番所)がここにあります 現在は新しい道が出来てしまい少し様相が変わってしまいました、古地図を見ると4本の路が交わる重要な地点になっています この道祖神さんたちも元々はそれぞれの路で別々に見守っていてく…
不審者の取り締まりのために設置された“見付”はこの村の東西にあり、富士登山や浅間神社参拝のための各道の要所でもありました 山を背にし沢が下を流れるこのポイントは逃げ場のない道でもあり、同時に旅の者は必ず通過しなければならない場所でもあった訳で…
双体道祖神と資料にはありますが浸食・欠損がひどくほとんど判らない状態です 小学校敷地の盛土コンクリートブロックの前に鎮座していますが、なんとなく哀れを誘う風体でもあります → MAP
戦前の昭和初期に作られた比較的新しい道祖神さまです 新しい道路の建設によって場所の移動とリッパな台座が奢られましたが、なんだかちょっと違和感もありますよね → MAP
道祖神のある径に続く小高い場所にひっそりとある神社はかなり古くからあるものようです 社の裏に石仏が2体あり、かつては登山者が祈りをささげた神のいる場所でもあります 「村山道」と呼ばれる古代からの富士登山道の途中にあり、かつてはここにも道祖神…
甲子塚と単体道祖神 文久四年の銘 お地蔵さんは頭がとれたまま 古来の位置ではなく区画整理で移動された様子 → MAP
残っているだけでもまだマシですが なんだかこんな場所では可哀想になってしまいます → MAP
資料の位置データが全く違う場所…というのはよくあることだが、特にコレは探し当てるのに苦労した しかし地図をよく見ると、確かに富士登山や寺社に詣でる街道沿いに在るものがほとんどで古道の所在を確かめるヒントにもなる 文字碑道祖神 元亀元年の銘 → MAP
二つの単体道祖神と 文字碑道祖神 弘化三年の銘 → MAP
自然石文字碑道祖神 背面に文久三年の銘→ MAP
大昔からの古道なのでしょうか 杉林の日陰にひっそりと 双体道祖神 造立年等不詳 → MAP
自然石文字碑道祖神 慶応三年の銘 → MAP