人穴の駒立観音

1192年に征夷大将軍に任命され鎌倉幕府を開いた源頼朝はその翌年、この富士山麓の丘陵地帯(現在の朝霧高原)で「富士の巻狩り」を大規模に行いました
眺めの良い丘から周辺を見渡しては晴れ晴れと満足な心境であったと思いますが、その際に馬を立たせたまま眺めていたことから“駒立の丘”と呼ばれるようになったと伝えられています
その記念として文政九年(1826年・孝明天皇期)にこの観音が建立されました
「舟光背=ふねこうはい」形式(後光の射した仏像が棺に入った装飾)の観音刻像です そして明治時代になって“上井出村駒立観音”の刻銘と絵馬が施された石碑が加えられました
明治末期に民間企業がこの富士山麓で馬車を使った旅客運送や木材運搬の事業を始めましたが、急峻な坂道の多いエリアなので事故も絶えず、再発を恐れた人々がこの観音に人馬の厄除けを祈願した事からいつしか「馬頭観音」と呼ばれるようになったそうです
そうした歴史的な背景ばかりでなく人間と馬の関わりから、地区の住民だけでなくここを通過する旅行者にも厄除けの観音様として親しまれ信仰されてゆくことになりました





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