新梨上の道祖神




同じ石造物でも岩の質にもよるのでしょうか、このようにすっかり浸食されてしまい銘はおろか表情さえ読み取ることのできないものも多く存在しています。
かろうじて「合掌像」であることが判りますので元禄・元文のころの造立かと想像されます。
白いコケ類に覆われてはいますがこれ以上の浸食はなんとか食い止めたい…そう思うのですよ。


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