すっかり風化してしまっている双体の道祖神さまですが、酒器を持った祝言像であることがようやく判別できます。 隣に置かれた丸岩石の甲子塚は明治時代のもので、今はただの農道の一角ですが昔は往来の要所であったことを覗い知ることができます。 → MAP
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