中村の道祖神と氏神社



こんなところに…と拍子抜けするほど街道筋の何でもない場所にある道祖神さまでした。
自然石を浮彫にした握手像からは銘を読み取ることはできませんでしたが、おそらく18世紀の中ごろから末にかけて…寛延から天明ころにかけての造立かと思われます。
よく見るとにこやかで柔和な表情の道祖神さまですね。
女性的で優しいカタチの石も安心感を与えてくれます。


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すぐ近くに神社がありました。
杉田氏神社、古来からある富士山頂の五智如来(ごちにょらい)を五躰王子(ごたいおうじ)とした神仏習合の「五躰王子浅間神社」で、現在も村の繁栄を祈る水神・農業神として信仰されているそうです。


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滝ノ上の道祖神と甲子塚



おっ、コレは状態のよい道祖神さまだ! と思ったら明治時代のものでした。
しかし神妙な顔つきといい、つつましく祝ものを捧げ持つ姿は凛としたものがあって素晴らしいですね。
隣の甲子塚も同時代のもののようです。
滝もないのにどうして「滝の上…」かと思えば近くに湧水のある不動堂がありその脇に滝が存在していました。この村に住む人々にとって大切な水源だったに違いありません。
道祖神さまに守っていただこうとしたのでしょうね。


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大宝坊の道祖神・甲子塚と石祠群




大宝坊という地名から以前はこの辺りにお寺とその坊でも存在したのでしょうか、現在は地図はもちろん実際に現地で確かめてもそのような形跡すら残っていませんでした。
大きな甲子塚と並べられている道祖神さまはすっかり浸食が進行してしまっていて辛い状態です。
かろうじて持ち物像あるいは祝言像ということが判る程度です。


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そしてその近くの防災倉庫の脇にはいくつかの石祠と地神さまのような岩石が集め置かれています。
地下水でも湧き出ているのでしょうか、一番大きな石祠の下は水甕のようになっていて中で魚が棲息していました。


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千貫松の道祖神



その真っ黒なお姿に最初は驚きました。
タールでも塗られてしまったのかと心配したくらいでしたが、こういう石質のものだと判りひと安心です。
銘は「享和元年」となっていて1801年、既に二百年以上経っているのに彫りの状態は非常に良好で、やはり黒くて硬い石の性質が有利に働いているようですね。
静かに手を取り合い肩にもう一つの手を回す姿には、争いのない平和な生活と調和を祈った村人たちの願いが伝えられて来るようです。


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新梨上の道祖神




同じ石造物でも岩の質にもよるのでしょうか、このようにすっかり浸食されてしまい銘はおろか表情さえ読み取ることのできないものも多く存在しています。
かろうじて「合掌像」であることが判りますので元禄・元文のころの造立かと想像されます。
白いコケ類に覆われてはいますがこれ以上の浸食はなんとか食い止めたい…そう思うのですよ。


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新梨下の道祖神と甲子塚



すっかり風化してしまっている双体の道祖神さまですが、酒器を持った祝言像であることがようやく判別できます。
隣に置かれた丸岩石の甲子塚は明治時代のもので、今はただの農道の一角ですが昔は往来の要所であったことを覗い知ることができます。


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